薬王堂気まぐれ通信使bU29   2011・8・1
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

祝島に一泊し、早朝からを散策することにします。
旅館の正面は港になっており歩いてみました。
浜辺にタコが干してありました。


祝島港


網に掛かっていたのでしょう!サンゴが放り投げてありました。
家の前に波除の大きな石組みがなされています。


波除のある家


港近くで木の船を造る人がいます。
入ってみましょう。

気まぐれ広島人:「おとっちゃん、何を造っとるんですか?」

おとっちゃん:「来年からNHKの大河ドラマで平清盛ちゅうのをやるらしゅうて、その船よの〜!」

えらいことをしているものです。
約10メートルの木造船で二艘目だそうですが結構大きな小道具でした。
材木は九州から仕入れたそうで手抜きのない立派な木造船でした。
ほぞ穴を開けるには最初に電気ドリルを使っています。
ドリルが曲がっているらしく刃に身体を押しつけて直しています。原始的!!
その後でノミを使って、表面にカンナをかけていました。

気まぐれ広島人:「ええことを、しよってでがんすね〜!」

おとっちゃん:「ええかどうか、わからんよの!これが終わったら、はあ〜仕事が無いわい!」

それもそうです。
それは港で網を上げるおっちゃんも同じでした。

おっちゃん:「漁が無いわいの!あがるのはエイばかりでタイやメバルはおらんようになった!」

アカエイは尻尾の付け根に毒針があるので包丁で切り落とすそうです。
神社のある高台に上ってみます。


祝島の住居地区・右正面前方に上関原発予定地


ムサシアブミが実をつけていました。
外来のセイヨウヒルガオ
ヘクソカズラ
クワクサ
ガガイモ
イヌビワ
ハマオモト
マルバマンネングサ
ボタンボウフウ
オオイタビのある家垣などがありました。
現在、祝島の人口は500人ほどです。
年々島の人口は減り続けているそうです。
若い者に仕事が無く、島の将来も危ういという・・・
それでも島のお年よりは住むにはもってこいの場所だと言っていました。
港から自転車を借りて島裏の三浦湾に行くことにします。
礫岩の切り立った岸壁に道路は造られていました。
途中、豚が飼われています。
柵などは無く一本の電気コードが張ってあるだけ!
半野生状態でなんとなくのんびりしていて我々に近寄ってきます。
時々道路に出てきて住民に追いやられるとか・・・
この島にはイノシシはいないのでしょう。
合いの子のイノブタの話は聞きませんでした。


三浦湾・右が小祝島


三浦湾はきれいでした。
小祝島との間に九州大分の姫島が見えるという↑今日は生憎の霞空で見えません。
ここでは島唯一の稲作が行われています。


三浦湾での稲作


その外、みかんの栽培、特産のビワの栽培、牛や鶏、豚を飼育する氏本農園がありました。
ガマと牛
実をつけたフウトウカズラ
ノシラン
タツナミソウ
イスノキ(ヒョンノキ)
オオバグミ
カラスザンショウ
クサギ
ツワブキ
トキワススキ
ダンチク
ネズミモチ
ヤブマオ
キヅタ
ハスノハカズラ
ハマウド
オオツヅラフジ
ムラサキケマン
トウオオバコ ()
カジノキ (カジノキの実と葉)
などなど・・
そして自生するシマサルナシがありました。


シマサルナシの実


徐福が不老長寿を願って探し当てたのが祝島のシマサルナシ=コッコーの実であろうと言われています。
重村定夫氏が調査し守り続けたこの言い伝えを後世にも末永く伝承していきたいものです。
道の堰堤には寒天の材料=テングサが干されていました。

JR柳井港駅から定刻午後1時45分発の広島行きに乗って帰ったという・・・祝島への小旅行でした。

※追記=当日のお昼ご飯は「こいわい食堂」に予約しました。メニューは「こいわい定食」に地エビで出汁をとった味噌汁、島の野生豚を使った料理、島特産のビワ茶のある献立でした。ご飯は時間に合わせてまきを使って釜で炊いてくれていました。1日10名限定・予約制のこだわり料理です。省エネを実行し、身体に優しい食事を提供するお店のようです。若女将が一人で切り盛りしているので大変でしょうがこれからも頑張ってください。
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